今回取材をさせていただいたのは、元eggモデルでパラパラダンサーとしても一世を風靡したルミリンゴことRumiさん。山あり谷ありのこれまでの人生を振り返ります!
egg時代の裏話記事はこちら
eggを卒業してからママタレとして活躍!
ーegg出演時代は10代ということで早くから社会に出ていたことになりますが、大変だったことや辛かったことは?
16歳でモデル隣、若いうちに社会に出て、まだ10代で知識もなかったので、悪い大人に騙されたこともたくさんありましたね。信じて仕事をして何百万って支払われるはずのものが払われなかったことが二度ほどありました…。
契約書交わすなんて事も若くて無知なのでもちろん知らないですし、入金日に入金がなくて電話したら「現在使われておりません」って。驚きですよね。
もちろんそんな事をするなんて思わない10代は、とてもピュアだったし、騙されることがあるなんて思ってもみなかったので、凄くショックを受けたのを覚えています。
それからは、大人はみんな都合いい話で近寄ってきて騙すものだと思っちゃって、すごく強気で生意気にならざるえない時もありましたね。
ーeggを卒業したあとはどうされてました?
事務所に入ってからは、テレビに出ることも増えました。益若つばさ、辻ちゃん、私がギャルママ枠みたいになってて、いろいろなお仕事をさせて頂きました。「踊る!さんま御殿」とかにも出させてもらって良い経験になりました。
モデルとは全然違うお仕事だったり、個人では受けられないような大手企業さんとのお仕事もたくさんいただきました。
その時に本も出版させてもらったし、3年ちょい事務所にいて素晴らしい経験もたくさんさせて頂きましたが、とにかく人生で一番忙しかったです。
忙しすぎて寝れなくて、今より10kgくらい痩せてました。2ヶ月丸々休みもないとかざらにあって、寝れない遊べないで、メンタル的にも体力的にも最悪でした。
身も心もズタボロで自律神経崩壊。
ーお子さんはどうされていましたか?
仕事が一番忙しい時に、ちょうど娘が夜泣きの時期でした。
夜やっと帰ってきて洗い物して、夜中になりやっと寝ようとしたら、明け方に2時間くらい夜泣き。。そして1時間だけ睡眠とって5時起きで撮影へ行くなんてこともよくありました。
もう眠すぎて頭回らないし、そんな状態だからありがたい素敵な番組に出ても何ひとつ面白いこと言えなくてとにかく使えない演者でした…。心に余裕もなくなってストレスしかないから、顔中ニキビだらけで。
娘と一緒に居たい気持ちと裏腹に、ありがたいことに仕事が忙しすぎて「事務所の期待に答えなきゃ」というプレッシャーや色んな葛藤があり、自分自身にムチを打って毎日微力の力を振り絞って無理して笑顔で仕事をしてました。
たまに精神的にも体力的にも限界で「何のために生きてるんだろう」って生きる意味を考えてしまう事もありました。
そういう生活をしてたらついに自律神経やられちゃって…。
突然、痙攣起こしたんです。
一人でトイレにいる時、急に過呼吸状態になって、冷や汗も動悸もすごいし、手の指がそりかえって足の先も突っ張って全身で痙攣してぶっ倒れ…。
「やばい!このままじゃ死ぬ!」って思い病院に行ったら、案の定過度のストレスと疲労と診断されました。
ここまで追い込まれたことが人生で初めてで、あの発作と全身痙攣過呼吸はトラウマですね…。
ーストレスは自分でも感じてたんですか?
アメブロ2位っていうプレッシャーはすごかったです。頑張って料理を載せても、並べ方が違うだの食器のセンス悪いだの彩り悪いだの何だの難癖つけられるし、上位をキープしないとっていうプレッシャーがダブルでのしかかってきていました。
仕事は絶頂だけどプライベートの時間が足りないから娘と一緒にいたくてもいられないし、娘の初めてできたことや、初めて話した言葉も聞けない。「母親なのに何やってるんだろう」って自己嫌悪もすごかったし、そういうのが全部重なって崩壊したんだと思います。
そして、とにかく羽を伸ばす時間が全くなくて遊びたいけど時間がなくて。心のゆとりが何一つありませんでした…友達に会いたくて仕方なかったです。
ーそのあとのお仕事量は調整してもらえたんですか?
そんなことになったので、事務所にも相談してお仕事もセーブ。自分でも、無理なものは無理ってちゃんと言おうって。できなくても死にはしないし、いいやって思えるようになってからは、肩の力が抜けました。それが22歳〜23歳くらいの時ですね。人生であの時以上にしんどい時はないですね。
離婚、事務所独立…一人になって自信喪失。
ーあらゆることを経験したうえで、まだ23歳だったんですね(驚)
20歳で結婚して、25歳で離婚。事務所をやめたのもその歳ですね。今思えばいろいろ自分を見直すいいタイミングになりました。
1人になったことで今まで絶頂期の天狗になっていたのがポキって折られて自信喪失してました。
モデルのお仕事っていつまでもできるものじゃない。だから、モデル業が副業になるように本業を作ろうと思って。美容が好きだったし、手に職をつけたくてエステサロンで1年間働きました。そこで一般常識や社会のルール、丁寧語などを教えてもらって。ファンの方が施術を受けにきてくれたこともありました。
そんな時に友達から、「アパレルやらない?Rumiのブランドを作ろうよ!」って声をかけてもらったんです。自分のブランド…せっかくのチャンスだからやってみようと思って、2016年にブランドをオープンしました。
ーそこでアパレル業界に参入したんですね。
ブランドプロデューサーとして、初めて会社へ正社員として入社。パソコンなんか触ったこともなかったし、請求書とかも何も知らなかったけど、そこで事務的なことや社会のことをたくさん学ばせてもらいました。
モデルをやって認知度を上げないと、ブランドの洋服も売れないし。でも正社員だから平日休むのもいい顔されないし。そこのバランスはすごく難しかったですね。そこでの会社員の時期は、私にとってものすごく貴重なものでした。
ーアパレルから離れるきっかけは?
ブランドを始めて勉強になる事はたくさんありましたし、社会的な知識も身に付きましたが、裏方を全てほぼ一人でやっていて事務作業とかずっとやっているときに、仕事へのモチベーションがいまいち上がらないのが原因でした。ふと「これ私じゃなくてもできるんじゃない?」って。
16才から今まで、「私に出て欲しい」"私"という個人にお願いしてくれてるお仕事ばかりを受けてきたので、このアパレルの仕事にやりがいを感じなくなったんです。
表面上だけのプロデューサーではなく、自分で物撮りからコピー書きから全部やってたんで、やり切った感じですかね。3年半プロデューサーやって、2018年の1月にたたみました。
ファンの方が私と会って「元気が出ました」とか、「SNSをみて頑張ろうって思えました」とか、モデルや芸能をやっている上で誰かの笑顔や幸せに本望なんです。
だから、やっぱり私はモデル業一本にしていこう!と決めました^ ^
お仕事をいただけることに心から感謝。
ー心境の変化などありましたか?
ありがたいことに、ブランドをやめた瞬間からいろんなお仕事がどんどん舞い込んできて。昔は忙しすぎて、自分で何もしなくても死ぬほど仕事がきてたし、やっとの休みの時急に仕事が入ると「また仕事かぁ」ってウンザリすることもあったけど、今は違います!!
私にお願いしてくれた仕事に対しては、感謝の気持ちを持って、200%の心意気でやらせてもらっています。
人と人を大切にするようになりましたね。25歳の時に挫折を味わっていなかったら、今こんな風に思うこともなかったかも。
ーあの時代は、世の中がデジタル化していって雑誌が徐々になくなっていった時期ですよね?
はい、一気に職を失ったモデル難民が多くいましたね。私もその一人だと思います。
SNSでどんどん有名人が出てきて、今まで雑誌に出てた一握りの人だけが活躍できるんじゃなく、誰もが活躍できる時代になりました。
その中でも時代に合わせて柔軟に、自分のプライドを捨てて周りに感謝しながら活動していた人は今も活躍してる人ばかり。
天狗になったままだと、周りの人もどんどん離れていっちゃうんですよね。
私、めっちゃ天狗だったし、プライドも高かったから、事務所の方には申し訳ないなと反省点も多々あります。昔は忙しすぎて、仕事の大切さが全くわかっていなかったんですよね。
一度挫折したからこそ、有り難さに気付けたので本当によかったと思います。おかげで、全部の考え方が変わりました。全ての出来事に感謝しています。
Rumiさんの他記事はこちら▼
今回取材したのはこの方