今回取材をさせていただいたのは、元eggモデルでパラパラダンサーとしても一世を風靡したルミリンゴことRumiさん。山あり谷ありのこれまでの人生を振り返ります!
Who is this person?
デビュー15周年パーティーには100人弱がお祝いに!
ー雑誌のデビューはどんな感じだったんですか?
一番初めは、実はRanzukiのスナップなんです。
その数ヶ月後に、センター街で雑誌eggのマンバ別冊(2004年4月発売号)の撮影していたマンバ友達にたまたま遭遇。その時私と一緒にいた4.5人くらいがみんなプレイボーイのスエットを着てたら、そこにいた編集の人が「そのまま企画にしたい!」って言って下さって。そのマンバ別冊がきっかけで、eggの撮影にも呼ばれるようになり、この出会いから人生が変わりました。
ちょうど春の新年度号で、ニューフェイスモデルに大抜擢!そこからegg本誌のモデルへ。ちょうど16歳の時です。世の中のことなんて何もわからず、ただ渋谷をウロウロしてた頃ですね。
それから、2019年4月20日がデビューから15周年だったんで、パーティーを開いてみんなにお祝いしてもらいました♪
ー15周年パーティーはどうでした?
友達もお仕事でお世話になっている人もいろいろ呼んで。100人弱くらいの人が集まってくれたかな。協賛会社に手伝ってもらいながら、豪華な会場で有名なマジシャンや有名人の方にも来てもらいましたよ。皆さん付き合いで協力してくださり、本当に感謝ですね。
もちろん、私のパラパラショーもやりました!「今までDVDに踊った曲で1番好きな曲は??」とインスタの質問機能でファンの方にアンケートをとって出来た、スペシャルメドレーで、過去1ロングなショーになりました!
お花もたくさんいただいて、人気キャバ嬢の卒業式みたいでした(笑)
ーお花まで凄いっ!20周年の時は何か計画していますか?
4年後の20周年は、もっと成長して盛大にやりたいですね!ファンの方にも来てもらって、ファンイベントとして一緒にお祝いしたいです。
10代の頃から、ずっとファンでいてくださる方も多くて。そういう方って私にとって宝なんですよ。最近知ってくれて応援してくださる方ももちろん大事だけど、10何年変わらず好きでいてくれるって本当にありがたいなって。日頃の感謝も込めて、みんなで一緒に楽しめるイベントにしたいと思っています。変わらず応援してもらえるように、もっと頑張んないとな。
ーファンの方との距離に変化はありました?
雑誌に出ていたアナログ時代は、ファンの方とも一方通行でしたよね。ファンレターをもらっても、全員に返事ができるわけでもないし。そういった意味でも今のSNS時代は、ちゃんとダイレクトに相手に伝わっているかもわかるし、レスポンスもある。インスタライブをすれば、オンタイムで返事ができるし、いい意味ですごく近くなれたなぁ♡って思います。
“ルミリンゴ”はその場のノリで生まれた!
ー呼び名にもなっている「ルミリンゴ」って誰が名付けたの?
「ルミリンゴ」って呼び名は池袋のWendy’sで、サークル【小帝】のメンバーとミーティングで集まってた時にできた名前。サークルの今日の集合時間とかを書き込むメンバーBBS(今でいう掲示板サイトみたいなもの)で、文字を入れるのも面倒で、名前も記号で良くない?ってなって。
当時docomoが新しい絵文字が増えた時で、その中で決めたくて何となくリンゴの絵文字をノリで選んだんです。(笑)
ギャルだから名前を打つのもだるくて(笑) 名前を絵文字で表していると、メンバー以外が見ても誰のことかはわからないから、デリケートな話もしやすかったです。まぁ私は明らかにわかりやすかったですけどね(笑)
ー海外ドラマの「ゴシップガール(Gossip Girl)」みたい!MARIAをMって呼ぶみたいな!
そうですねー!サークル内で使う自分の絵文字が決まっていて。代が変わる度に、メンバーも変わってその絵文字もどんどん新しくなるので、見ていて楽しかったですよ。姫系の子はリボンとか指輪とかの絵文字で、ぶっとんでる系の子はウンチの絵文字とかね。(笑)
選ぶ絵文字で、なんとなく性格とかキャラもわかりました!ガラケーからスマホになるのと同時に終わっちゃいましたね。
ーサークル活動について教えてください。
初めてクラブに行ったのが14歳で中2の時に、昼間のイベントへ行きました!
当時は風営法があまり厳しくなくてID確認とかもなかったから、中学生でも昼間の学パー(学生パーティー)とか全然入れましたね。先輩にギャルサーのクラブイベントに初めて連れて行ってもらって、サークルには中3の時に入りました。無所属でも参加できるイベントで、役職がそのまま小帝(コミカド)っていうサークルになったんです。
中学の制服を着たまま、歌舞伎町とかにミーティングしに行ってましたよ。私服で行くと、キャバクラのキャッチにめっちゃ声かけられて。中学生だよって言っても信じてもらえなかった!
ベロベロのまま表紙撮影をしていた!?
ーギャルサーの時はどんな生活でした?
最初の方は純粋に楽しんでたけど、年齢を重ねるとどんどん上の役職になって。大きなイベントの実行委員長とか統括とかをやるようになったんで、チョー忙しかったですね。モデルもやりながらだったから、毎日3時間睡眠とか。最高72時間起きてたことも!
パラパラをオールで朝まで練習することもよくありました。パラパラ以外にも、出し物の練習とかもあったから、オールからそのまま寝ないで朝撮影行って、みたいな。でもどんなに寝てなくても、eggの撮影には遅刻したことはなかったです。朝まで飲んでてもベロベロでも、絶対休むことはしなかったですね。
ー大変すぎる!すごいガッツですね。
その時は、全然大変だとは思ってなくて。全部自分がやりたいことだったから。満足しているから何もストレスじゃなかったんですよ。
当時の当時のeggメンバーって飲兵衛ばっかで。巻頭撮影の前日でも平気で飲んでましたね。今だと考えられないですよね!チョー体育会系でしたもん。先輩に飲みに誘われたら、断るとかあり得なかった(笑)
5時にロケバス来るから編集部集合ね〜って言って、モデルのみんなで飲みに行って。ベロベロだけど、もう4時半っすよ!行きましょう!って先輩とかを編集部に連れて行くこともしょっちゅう!化粧したままクッサい編集部のソファで30分仮眠して、ベロベロのまま表紙撮ったりも全然してましたね(爆)それが普通な日常で。時代ですよね本当に。
ー酒臭くてもちゃんと行ってたのがエライですよ。
それで毎回休んでたら速攻クビでしたよね。ベロベロのまま、egg運動会で白組のリーダーやって、ちゃんとアンカーも務めて、紅組に勝ちましたからね!(爆笑)
ー今じゃ信じられないですね。ヘアメイクさんも大変そう!
それが、昔のeggにはヘアメイクさんがつかなかったんですよ。全部セルフメイクでした。
まだ仕事っていう感覚じゃなく、女子校みたいだったから遊びの延長って感じで、全部ノリでしたよね、ノリ。
1番売れていた時代だったのが、今大人になってすごいわかります。当時は全くわからなかったですが、毎回の経費の掛け方とか凄かったですもん!しょっちゅう沖縄とかに大人数でロケ撮影いったりとかしてました。スタッフもモデルも家族みたいな感じだったから、働いている感覚はなくて本当楽しかったですね。
パラパラダンサーとして全国のクラブイベントに。
ー仕事って思うようになったのはいつ頃?
ギャルをやめて、少しお姉さん系にシフトしてからは身なりや行動を意識するように。eggを卒業して、別の雑誌に行ってからは、事務所にも入っていたし仕事として受けている自覚を持つように。
2009年に、アメブロの総合ランキングが辻ちゃんについで2位になったんです。その時に知り合いの事務所に声をかけてもらって、4年間くらい入っていました。
eggのお仕事はそんな感じだったけど、パラパラの方はDVDにもたくさん出てたから練習もいっぱいしたし、みんなの見本にならないとっていう高い意識でやっていました。avexと契約してお給料ももらっていたので。
ーパラパラのDVD見てましたよー!
10代のうちに、全国47中45の都道府県のクラブは回りました。クラブイベントがめちゃくちゃ流行っていた時だったので、2年間くらいは毎週、金土日金土日、ずーーっと地方のクラブイベントのゲストのお仕事で、飛び回ってました!クラブで踊るのがお仕事になったから、プライベートでは全く行かなくなりましたね。
1人でキャリー持って飛行機乗ってコンソメスープ飲んで。若い時って、ああいう添加物系のジャンクなコンソメスープとか好きですよね(笑)大変だったけど、本当に楽しくお仕事させてもらいました。
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今回取材したのはこの方
モデル、タレント