「ハーフって良いよね」安易な言葉は好きじゃありません

2019年9月10日 更新 PEOPLE
「ハーフって良いよね」安易な言葉は好きじゃありません
令和元年、今では当たり前になっている外国の血が混ざるハーフ、クォーター、ミックス等。


芸能界にいる美しい方々の中で混血の人が増え、今では主流になりつつある「ハーフモデル」

わたしはその1人。

混血とは?

厚生労働省の調査では、2006年に生まれた新生児約110万人のうち、少なくとも片親が外国国籍の子供が35651人と約3.2%を占めることが、2008年8月4日の東京新聞などで報道された。その中で、両親とも外国国籍の子供は約9000人とあり、これを差し引いた約26600人の新生児が日本国籍と外国国籍の両親との間に生まれた子供ということになる。夫が日本人、妻が外国人という組み合わせが約36000組と圧倒的に多く、うち妻の国籍は中国、フィリピンがそれぞれ3分の1。6分の1が韓国・朝鮮で、以下タイ、ブラジル、アメリカと続く
モデルを始めたのが17歳。
ギャル絶世期の頃、周りは皆高校生だった。


「どこのハーフなの?」

「お母さんがフィリピン人だよ」

「だからかわいいんだ!友達になろう!」


初めてハーフを褒められた。

しかし、モヤモヤしたものがあった。



ハーフを理由に近寄ってくる男性も多かった。
時代なのか、大人になればなるほど羨ましがられることが多くなった。
その度になんだか消えない胸のざわつきを思い出す。




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あれは幼稚園の頃だ。


幼稚園の先生同士や、お母さん同士の会話で

「◯◯ちゃんのお母さん、フィリピン人なんですって」

こんな言葉をよく耳にした。





当時5歳くらいの私は、少し派手目な母のことを恥ずかしく思っていた。

母は、私が小さい頃からバリバリ仕事をしていて、人付き合いも多く、しっかりメイクをして、身なりをきちんとして、美意識も高かったと思う。
どこにいてもそこそこ目立つタイプだった。


「周りのお母さんは、他のお母さんたちとのんびりおしゃべりしてるのに。」
「周りのお母さんは、もっと暗い服を着てるのに。」
「周りのお母さんは、髪明るくないのに。」

そんな気持ちのまま、小学生になった。







小学生にあがると、男の子からよくからかわれるようになった。
理由は、私の肌が黒くみんなと違って見えたからだった。


「なんでお前そんなに黒いの?」

「みんなと違って黒い!キモい!」

「ニューハーフなんだろ?」



ハーフという言葉をよく知らないのか、知った上でのからかいなのかわからないが、


「ニューハーフがきた〜!」

「ニューハーフならチンチンついてるんだろ?」

「チンチン出せよ!」

「ガイジン菌がきたぞ!」


と遊ばれ、からかわれ、気持ち悪がられ、幾度となく体育着を濡らされたり隠されたり、上履きがなくなったり、画鋲が入っていたり、傘が折れてたり、帰り道に叩かれ、蹴られたりした。


何度も外国の血が混ざる母を持ったことを嫉ましく思った。







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いじめがエスカレートしていた小学1年生の頃、遺書を書いたこともあった。

母から買ってもらった自由帳に、とにかく悩みを書き続けた。



わたしがしんだら、たいせつなまんがといっしょにもやしてください

◯◯くんがこわい
◯◯くんにたたかれた
◯◯くんにけられた
◯◯くんにあいたくない
しにたいしにたいしにたいしにたいしにたい
しにたいしにたいしにたいしにたいしにたい




自分の気持ちを隠すように、その自由帳は勉強机の本棚の、さらに本の間に挟んで隠していた。






私の家は小学校からすぐ近く、正門から帰るよりも裏門から帰る方が近道だった。
正門から帰ると沢山の下校する小学生がいてからかわれるので、出来るだけ裏門から誰にも会わないように帰るようにしていた。





裏門から帰る途中、よくいじめを仕掛けてきた男の子が私の新ルートを知ったのか、出口に立っていた。



家の近くまでついてきて、通学路ではない人気の少ない道だからか、いつもより何度も殴る蹴るを繰り返す。

私より3倍もある身体で追いかけ、暴力を振るわれるのは本当に誰にも言えないほどの恐怖だった。



私が涙を流しながら
「やめて!」
と言っても響かない。

走って逃げて、すぐに家に逃げ込むのが日課だった。
玄関先やまでついてきたり、私が家の中に入ってからも家の周りをウロウロされることもあった。



いつも両親は共働きで居なかった。

私が吐き出せるのは、あの自由帳だけだった。








ある日、また裏門から帰るときにあの男の子が来た。



「今日はお前に火をつけてやる」



そう言ってライターを取り出した。






親指をスライドして回し、ガスを出した。

・・・怖い。







走って逃げようとしたその時、なぜか母が現れた。




恐怖であまり覚えていない。

いやその時の記憶は、映像だけ残っているが声や音が聞こえていなかったと思う。


ただ、母が男の子に凄い剣幕で叱り、背負っていた黒いランドセルを背中から剥がし床に叩きつけ、男の子は怯えて腰を抜かしていたのを覚えている。






自由帳は、私が挟んだはずの場所になく違う引き出しにしまわれていた。
きっと、母が見たのだ。


理由などは聞かれなかった。
怒られることもなかった。


翌日からその子のいじめはなくなった。
けれど、小学校6年間の間で何度もいじめはあり、何度も自殺を考えていた。



中学・高校は、いじめのようなはぶかれることはよくあったが、あからさまな「ハーフ」へのいじめはこれが最初だ。







大人になってから、初対面の人にはだいたい

「どこのハーフなの?」

と聞かれる。




私は毎回、

「スパニッシュフィリピンのハーフです」

と答える。




"フィリピン人の母"という言葉を、あまり言いたくない自分がいて、スペイン系の血がある言い方を強調する。

それが私なりの強がりなのだ。



「フィリピンのお母さんなら、水商売なんでしょ?」
「日本語喋れるの?」
「お父さん騙されたんじゃないの?」
「どうせ永住権取るために結婚して生まれた子でしょ?」


と言われたことは、何度もある。
その度に、笑って誤魔化してきた。

そういう人に、私の母は日本語学校に通ってしっかり日本語を勉強したことや、両親が仲良かったこと等、本当のことを説明する必要もないと思い、関わりたくもなかった。



フィリピンは発展し、昔よりイメージも良くなった。
だからこそ、フィリピンのハーフというと

「いいなぁ、羨ましいなぁ。」

と言われるが、こんな過去があってもいいなぁと言えるのだろうか?と胸がざわつく。




ハーフ いじめ
と検索すると、数々の事件が出てくる。


この時の事件も、フィリピン人の母を持つ小学生の女の子が、いじめを受けていたことが原因だとみられている。
桐生市小学生いじめ自殺事件


もちろん、ハーフを理由にいじめられない子もいると思う。

現代は多国籍化が当たり前になり少しずつ受け入れられるようにはなってきたが、少なからずいじめの「標的」となるきっかけの一つであることを知ってほしいと思い、過去を綴ることにした。




人種差別は、まだまだ実在している。


無責任な言葉や行動で大切な命が失われないように、私の子供達にはどんな人へも隔たりなく優しくできる人間に育って欲しいと思う。





今の私は、たくさんの愛に囲まれて生活している。

あの時に死ななくてよかったと、何度も何度も感じてきた。


そして、今の自分が出来ることは、私と似た境遇やきっかけを少しでも減らすこと。



お子さんがいる家庭は是非一度「いじめ」について話し合って見てほしい。

理解し、助け合い、優しさを学び、いじめをなくすことは簡単ではないけれど、意識を変えることで一人の命を救うことも出来るかもしれない。