か ら だ 美 容

まさか私が乳がんに

 

健康オタクな私が突然乳がん患者になり生活が一変。息子の卒業式、入学式を控え大変な時期に何故·····。

自分がガンになるなんて

ひとり暮らしをしていた独身時代、食生活に無頓着過ぎた私は栄養不足で皮膚がボロボロになりました。その経験から健康オタクになり、病気知らずで過ごしてきた自分がガンになるなんて·····まさか·····。

2年毎に乳がん検診もきちんと受けていて、一度も異常は見つからなかったので安心しきっていました。

 

いつものように定期検診へ

検診は毎回同じ総合病院で受けていました。いつも結果は異常なし。それなのに何故だか足が向いたのです。買い物ついでに新しく出来た近所の乳腺クリニックへ。

これが虫の知らせというものなのでしょうか。

 

ひと通りの検査をして一週間後、結果を聞く為に再びクリニックへ。気楽な気分でした。いつものように「異常なしですね」の言葉で終わるはずでした。

でも違ったのです····

 

 

画像を見ながらドクターの淡々とした口調。

「ここが怪しいですね。紹介状を書きますので精密検査を受けてください」と。

 

「え·····??? 」

何を言われているのかピンときませんでした。

 

「コレは以前からありましたよね」·····と。

 

「それは"乳がん"ってことですか…???」

即手術が決定

その後の私は「乳がん」「乳がん 名医」「乳がん 病院」等の検索をし続け、他のことは手につかなかったような気がします。幸いなことにネットで目に止まった「乳がん体験記」で勧められていた病院が、比較的自宅から近かったのです。迷わず電話をかけました。

検査当日、画像診断の段階で「まず間違いないですね」とドクターの声が。「頭が真っ白になったでしょ」と何故か笑顔のドクター。その明るさに救われたような気もします。

それからのことはどうやって家まで帰ったのかもあまり思い出せないのですが、即手術と決まったのは確かでした。

 

当時、小学6年生だった息子の卒業式と入学式に間に合うように手術日を決めました。

その後の私は夜お風呂に入ると、鏡に写った自身の姿を見ては泣く日々が続き、本当に毎日、毎日、よく泣きました。「どうして私が、どうして·····」

MRIに入ることができない私は、手術前に温存か全摘かが分からなかったのでその不安もありました。
それまではパソコンを開いても、どこかで「私は乳がんじゃない!」と否定する材料を探していましたが、どう足掻いても乳がん患者になってしまったのです。

いざ手術

手術日が決まっても直ぐに入院ではないので、日常生活は普通に送らなければならないことがきつかったです。心に靄がかかった生活は続きました。涙の日々。

数週間経ち手術前日に入院。夫が付き添ってくれました。病室に飾る可愛らしいフラワーアレンジメントを買ってくれたことが鮮明に記憶に残っています。

 

いよいよ手術当日。ひんやりとした手術室は独特の空気感があり恐怖です。安心に繋がるようにとお気に入りの曲が流れ、お守りも顔の横に置くことが許されました。不安がる私の手を握ってくれたりと手術スタッフの心配りも有難かったです。

手術台に横たわり麻酔が体内へ·····何とも言えない気持ちの悪さ。これが気持ちよく感じる人もいるらしいのですが。
その後のことは当然ですが目覚めるまで記憶がありません。

治療と副作用

手術は無事終わり、幸いにも温存することが出来、入院生活はあっという間の5日間。その間にリンパ節を取った腕が浮腫まないようにとリハビリもしました。

入院生活も終わり、退院後に待っているのは毎日続く放射線治療。約一ヶ月間、毎日通院しなければならないので、自宅からそう遠くない病院を選んだことは正解でした。


放射線を当てる場所には、胸から広範囲に紫色のマジックで線を書かれるので不気味な姿になります。が、気にすることなく温泉にも出かけました。

放射線治療後、私の場合はホルモン療法の薬を10年飲み続けると言う比較的ラッキーな乳がんのタイプでした。でも、更年期障害に似た副作用や、他にも呼吸が苦しく常に息苦しかったり、不安定、恐怖感、体重増加·····人にもよるのでしょうが、色々な症状が出始めました。

専門医で

2019年。あれから6年が過ぎ、7年目の今も治療は続いています。お守りのように色々な対処薬を持ち歩いています。

過ぎて思うことは、検診で異常なしでも安心は出来ないということです。あの時の虫の知らせがなかったら、今の私はないかもしれません。

同じ病院ではなく病院を変えての検査、きちんと専門医の検査を受けることが大切だと実感しています。
せっかく定期検診を受けても診る目がないドクターに当たっては、検査も無意味になるのです。
自分と相性の良い優秀なドクターとの出会いにも感謝しています。先生が転勤や開業で病院を移動しても引き続きお世話になっています。

最初にインターネットで見つけた、乳がんの記事を書かれていたライターの方にも感謝しています。ご自身が乳がんになり、有名病院でのセカンドオピニオン、サードオピニオン···を重ねた方の記事でした。その記事がなければ信頼出来る病院やドクターとの出会いもありませんでした。

私がお世話になった病院は、鎌倉市にある大船駅から徒歩数分の大船中央病院です。

同じように辛い思いをしている方々の少しでも参考になればと思い経験を書かせていただきました。

 

がん患者になっても未来はあります!自分の行動次第で未来は変わると思うのです。

 

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leoko

leoko

・夫 大学生の息子 愛猫の4人家族 ・乳がんサバイバー ・エイジレスモデル(伶桜子) ・𝘔𝘳𝘴. 𝘕𝘈𝘋𝘌𝘚𝘏𝘐𝘒𝘖 𝘕𝘐𝘗𝘗𝘖𝘕 2019 𝘉𝘦𝘴𝘵8入賞 乳がんを乗り越え50代でのモデルデビューを機に「諦めなけれ未来は変わる」想いを伝えたく活動中 「資格」 ・茶道専任講師 ・書道師範 ・臨床検査技師 ・JHBS Advanced Diploma

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