乳がんの次に起きたのは、パニック障害と向き合う生活

2019年7月3日 更新 BEAUTY・HEALTH
乳がんの次に起きたのは、パニック障害と向き合う生活
leoko 52歳、私は乳がんサバイバーです。

2013年、突然の乳がん宣告を受けた私。手術をし、その後は数年に渡り治療が続きました。
不運は更に、乳がんだけでは終わらず次に待っていたのは心の病でした。

合わせて『まさか私が乳がんに』をご覧ください。

夫の不慮の事故

 (2189)

乳がんになる数年前のことです。夫が不慮の事故で頭蓋骨骨折、脳挫傷で生死をさまよいました。平穏な日常が一瞬にして奪われたのです。
始まったばかりのマイホームでの生活、幸せなはずの日常は只々不安でしかなくなったのです·········

夫が運ばれた病院は自宅から遠く、頼れるはずの親、兄弟は遠方で当てにはできませんでした。
〝血の海と化した現場〟の一部始終を知る幼い息子は不安定になり、私は何をどうしたらいいのか途方に暮れたことを覚えています。


幸い、強運の持ち主の夫は奇跡的な回復を遂げ復活することができました。


現在52歳、私がこれまで歩んできた道のりは平坦ではなかったように思います。山あり谷あり知らないうちにストレスは溜まり、いつの間にか心も病んでしまったのです。

怖くて苦しくて死にそうなパニック障害

 (2185)

先ず異変が現れたのはトンネル渋滞でのことです。車内にいた私はそれまで感じたことのない恐怖感に襲われました。言い表すことの出来ない苦しさ、逃げられない拘束感が恐怖となって正気ではいられなくなるのです。そんな状態が頻繁に現れるようになりました。

嫌な汗、涙、時には発狂しそうになります。そう、パニック障害です。

説明は難しいのですが、激しい恐怖感に加え〝溺れて息が出来ずにもがき苦しむ感じ〟が近いのではないでしょうか。過呼吸も加わりとにかく苦しくて死にそうなのです。


電車、エレベーター、映画館、歯科医院、美容室·····苦手な場所は増えて行きます。自宅リビングや寝室でも発作は襲ってきました。

飛行機や新感線には乗れるはずもなく、好きだった旅行にも出掛けなくなりました。どんどんこもりがちになって行ったのです。

ピッタリの薬がみつからない

 (2188)

「気の持ちようよ」と何度となく言われたものです。励ましだとはわかるのですが、聞きたくない言葉でした。自分自身をコントロール出来ないのです。

こればかりはなったものにしかわからない感覚で、私自身も以前は軽く考えていたと思います。とにかく凄まじい恐怖!なのです。

薬にも頼りました。処方薬を何種類も試しましたが軽いと効果がなく、強い薬だと麻酔がかかったように眠気でふらふらになるのです。簡単ではないのです。

病院からの帰り道だったと思います。運転中にも関わらず激しい眠気で気が遠くなり、追突寸前で急ブレーキ!そのことがきっかけで薬に頼ることを躊躇し始めたのです。

救いになる、同士の存在

乳がんの時もそうだったように、私は病気であることを隠さずに生活しています。パニックの発作が出ることも会う人ごとに伝えました。

SNSでも発信しています。すると、同じ病の人は結構いるものでアドバイスをいただけるのです。

心療内科に通院するよりも、パニックの苦しさを知る〝同士〟との気持ちの分かち合いが私には救いになっていました。

気を紛らわせる「黒いミンティア」

同士の方からのアドバイスです。薬を飲めない時の対処法は〝黒いミンティア〟と言うのです。

黒いパッケージの一番辛いタイプを「あ、ヤバい、くる!」と感じた時に口に含んだらいいよと。半信半疑ながら早速購入。

恐怖感は突然襲ってきます。

あ、くるくるくるくる·····すかさずミンティアを口に含みました。

我慢できずにボリボリ噛み砕きます。すると想像通り!いや、それ以上!!

ヒィィィィィ!!!

辛い!辛過ぎ!辛さは通り越してもはや痛いのです!!

すると·····

その〝痛さ〟に気がとられて恐怖感から気が紛れていたのです。同士の助言通り、薬を飲まなくても発作を回避できたのでした。ミント系が苦手な私には効果てきめんです!

それからは薬と共に黒ミンティアもお守りのように肌身離さず持ち歩きました。一番辛い黒!です。

効果のないケースもあると思いますが気を紛らわせるひとつの術です。

毎日周りに助けられています

 (2209)


気持ちが不安定だと人付き合いも疎遠になり、こもりがちな生活になって行きます。徐々に約束事もしなくなり、「当日の体調で決めていい?」と我儘を言える相手には甘えさせて貰いました。

エレベーターではなく階段を使い、食事に出かけると座席は開放的な場所をお願いするようになりました。圧迫間や閉塞感を避ける生活です。
事情を知るジム友やママ友の配慮に救われることも日常になっていました。

お世話になっている歯科医院の先生は、閉所や拘束感が苦手な私に「僕の顔でも見てたら紛れるでしょ」と狭いレントゲン室の恐怖を和らげてくださいます。

出かける際、遠回りしてでもトンネルのない道を使ってくれる夫。

気持ちを楽に生活を送れることは我儘を言える環境、周りの方々や家族のお陰です。


恵まれながらも出口の見えないトンネル生活は数年続きました。ずっと続くと思っていました。


でも違っていたのです·····

別記事につづく