離婚をした元旦那とのつらかった記憶〜子育て中の体調不良〜

2019年7月10日 更新 BEAUTY・HEALTH
離婚をした元旦那とのつらかった記憶〜子育て中の体調不良〜
Hola!ニーニャです。

この記事を書いている今、私は39度の熱があります。子育て真っ最中の1歳、8歳、10歳の息子を持ち働く母です。完全にダウンし、まともに歩けず布団で寝込んでいる今、ふと過去のつらかったことを思い出しました。

今の旦那さまは、再婚です。これは離婚をした元旦那の話です。

頼れる人がいない

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当時、子供達は保育園に預けていた頃でした。私は風邪を引き寝込み始めた時のことです。

最初はただの風邪だろうと思い市販薬で済ませていたのですが、状態は徐々に悪化。保育園いっている間に病院へ行きました。結果は「自宅療養じゃすぐには良くならない」とのこと。しかし私には幼い子供達がいるので、入院の選択肢を選ぶことは出来ませんでした。



お医者さんは言います。

『入院しないと治りが遅いかも…誰か頼れる旦那さんやご家族はいませんか?』

『……いません。』
私の親は、海外で仕事をしているタイミングだったので頼ることが出来ません。そして、一緒に暮らす元旦那は、子供達の面倒を一切見ることが出来ない人でした。

料理、皿洗い、掃除、洗濯、スーパーの買い物を始め人の事というよりも、自分の事をまともに出来ない人でした。勿論子供のおむつ換えや着替え、離乳食作りも全くしたことがありません。
「俺は出来ないから」「そういう担当じゃないんだよね」「出来ない」「お前がやればいいじゃん」そういった言葉で何度もかわされてきました。

付き合っていた頃は

付き合っていた頃は、何も出来ない彼を愛おしく感じていました。『私がいないと何も出来ないのね。』という、今考えると謎すぎる母性を持っていました。
10代の頃に長く付き合っていた人だったので、あまり恋愛経験のない私は母性が募るばかり。

私自身、付き合っている期間にこんなに体調を崩すことは過去にはなく、彼は度々体調を崩すことが多くその時は看病をし、看病中は自己満足感でいっぱいでした。
そして、自分がそうなった時は彼も同じようにしてくれると期待していたのです。


今思えば、私が何でもやりすぎて彼を駄目男にしていたと思っています。そして、期待していたのも良くなかった。
反省点は沢山ありますが、結局はお互いがお互いによくなかったんだと、今では思います。

つらい日々が続く

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入院を勧められた日、今後もっと悪くなることを想定して近所の薬局で買えるだけのポカリや子供達がすぐに食べられるものを調達。たしか子供達は4歳と2歳ぐらいだったと思います。まさにイヤイヤ期。ご飯なんて一人で無事に綺麗に食べられるわけがありません。

保育園を駆使し、日中は寝て送り迎えをし、夕飯を作り、お風呂に入れる。
当時は下がらない39〜42度出続ける熱と、その他身体の不調と戦い続けていました。


かれこれ2週間程経ち、飲み物もろくに飲めない状態で熱も一向に下がらず体が悲鳴をあげていました。
病院の薬は効かないまま飲み終え、セカンドオピニオンしようにも調べる体力と向かう体力もありませんでした。
保育園の送り迎えが、一番つらかった。立つことさえ出来ない状態だけど、無理してでも立ち、足を引きずって迎えにいき、晴れた日でも傘を杖にして歩き、地面に座って休憩を挟みながら一生懸命意識を持って子供達と帰りました。


元旦那の、言葉

元旦那は、帰ってこない日が多々ありました。理由?わかりません。音信不通なのです。ただ、体調を崩してから2週間の間は、5日ほどちょこちょこ帰ってきていました。

2週間が経過しようとしてるところで私の限界が近付き、苦しさやつらさで発熱の中泣いていたところ元旦那が帰宅しました。
元旦那は、荷物をリビングに置きながらこう言ったのです。

『まだ寝てんの?いい加減にしろよ。家とっ散らかって、子供達メシ食ってんのか?』






飲み物もろくに飲めない状態の私は、声を出す事もままならず、言い返す元気もなく、ただただ涙を流しました。



メールでこの状況は全て伝えている。きっと彼も仕事で疲れているのだろう。でも相手を構う余裕は、当時の私にはありませんでした。


忘れたいのに、忘れない記憶

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子供達にちゃんとしたご飯をあげられてない事もわかってる。毎日毎日お茶漬けやパンやうどん、冷凍食品、レトルト。私が立ち上がれず、お風呂に入れてあげられない日もあった。

私は病院に行きたい。悪化する状態を治したい。けれど病院に行くまでの手段や頼る人や、検索する事さえも出来なかった。当時はインターネットがここまで普及していないのも理由の一つで、引っ越してきたばかりの新しい土地だったので土地勘がなく病院も把握していませんでした。



『助けてほしい。』私はその一言だけ伝え、病院へ連れて行ってもらいました。夜間入院で長時間の点滴をしてもらい、薬をもらって朝に退院。回復の兆しが見えた頃も元旦那は帰ってこない日が続きました。
勿論、家事も子育ても何もせずに。



私はあの頃のつらさを、熱が出る度に思い出します。

鮮明に、幼い子供達の声や、流しっぱなしのテレビ、食べ散らかした食器の後、寝ていたリビングの茶色い座椅子ソファや、包まっていた茶色い布団。目の前の白いコタツや、作業着姿の元旦那と、言われた言葉。

今の旦那さま。

現在、39度の熱が出始めた夕方過ぎ頃、今の旦那は定時より早めに帰宅してくれました。各子供達に合わせたレシピを伝え、子供達の夕飯を作ろうとしたところでダウンした私の代わりに1歳、8歳、10歳の息子達のご飯の準備をしてくれました。
私も、事前に買っておいた春雨スープを作ってもらい、私が布団で食べてる間に旦那は1歳児をお風呂へ。

旦那と1歳の息子の笑い声が聞こえるお風呂を通り過ぎ、私が食器をキッチンへ戻しに行くと、リビングはピカピカ。溜まっていたお皿も綺麗に洗われてシンクもピカピカでした。




なんでしょうか、この気持ちは。どうして今こんなに幸せなんだろうか。涙が溢れ、何の感情かわからない気持ちが胸いっぱいに広がりました。


彼の子育てに積極的な心、私への思いやり、こんなに愛を持って接してくれてること。全てを幸せに感じれた瞬間でした。

”あの頃は何故あんな風になってしまったんだろう。”

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たまにふと、過去を思い出し反省する時があります。過ぎてしまったことなので、長くは考えないようにしていますが、思い出す度に成長した自分が自分自身の反省点を新しく見つけてくれるのです。

今回は、パートナーの選び方で人生が大きく変わるんだ。と改めて感じ、あの頃はパートナーへの接し方の反省点が多かったと気付きました。
そして、今の旦那さまの素晴らしさと有り難みをヒシヒシと感じるのです。


"心を押し殺し、自分を犠牲にして我慢する恋愛はしないで。"


世の中の女性に伝えたい、今の一番の言葉です。

つらかった過去は、少しずつ忘れられるように。幸せを数えて生きていきたいと思います。