乳がんサバイバーのleokoです。
『50代の転機。モデルになった私(1)』に続き、専業主婦だった私がモデルになったきっかけを綴ります。
合わせてこちらの記事をご覧ください。

撮影でかけられた言葉
長年愛用していたコラーゲンドリンクの会社からオファーをいただき、愛用者モデルとしの撮影が決まった私、その当日のことでした。
「勿体ないからモデルの仕事をやったらいいのに」
撮影でお世話になったスタッフの方に掛けられた言葉です。テスト撮影の時にもヘアメイクさんに同じことを言われていたのです。
私がモデル? それも仕事として??
2回も言われると単純な私です、その気になってしまったのです。
行動開始!

それからは早いです!
夫の「やってみれば」の後押しもあり、止まっていた私の日常が動き出しました。インターネットで事務所探しの始まりです。即行動!が取り柄の私、50代は厚かましさも加わります。
とは言っても都内だけでもモデル事務所は数知れず、どこを選んでいいのかわかりません。募集をしていても〝若さ〟を求める事務所しか見当たらないのです。
現実は厳しい·····
一瞬、SNSに届いたDMが頭を過ぎりました。モデル事務所からのお誘いが届いていたのです。でも、慎重な面も持ち合わせている私は簡単には信用できませんでした。·····調べてみるとよくない噂を目にしたのです。
なかなか難しい····
検索がしばらく続き〝モデル事務所〟から〝ミセスモデル〟にキーワードを変えたその時、一枚の爽やかな写真が目に止まったのです!
白いセーターが印象的なイケメン社長の微笑む姿!!
しばらく凝視した後、ホームページの一語一句を逃さず目を通しました。
知りたいことも丁寧に説明があり、何より事務所代表の顔写真があることは安心感に繋がりました。社長ご自身がモデルと言う点も魅力でした。
迷わずアクションです!
面接へ

いくら厚かましい私でも正直相手にされるとは思っていませんでした。ところがアクションを起こして数日後、社長からお電話をいただいたのです。
なんと、面接していただけることになったのです!
数週間経ち面接当日、道に迷いながらもなんとか事務所のあるオフィスビルに到着。そこはオシャレな青山です、イメージしていた薄暗い雑居ビルとは大違いの美しいオフィス。
場違いだわ·····
約束の時間少し前にに受付へ。しばらくすると写真で見ていた社長が現れたのです。思っていたよりお若い印象、スーツ姿の高身長な姿はまさしくモデル!でした。
やっぱり場違い過ぎたわ····· 既に諦めモードです。
日頃話す異性といったら、スポーツジムで顔見知りのご老人か宅配便のおじさんです。全然違う·····(ごめんなさい)
モデル社長を目の前に緊張からか面接での内容はよく覚えていません。真冬なのに汗をかいていたことだけはしっかり記憶にあります…。
私がモデル
面接を終え、諦めモードで数日が経ったある日、社長からの着信です。期待もせずに電話にでると、携帯の向こうからまさかの声が。「合格」の言葉にビックリです!
「合格って·····私がモデル??えーーー! 」
自分で行動を起こしたとは言え一瞬尻込みしたのです。どうしよう…
頭の中を色々なことが駆け巡りました。が、もう開き直るしかないのです!
「なんとかなるわ!!」
その後は契約と猛スピードで事は進み、トントン拍子に〝モデルleoko〟が誕生したのです。
自分が一番驚きです!あっという間の出来事でした。やはり人生何が起こるかわかりません!!
『一度きりの人生、何もせずに終えるにはまだ早いです。·····先ずは応募してください』
事務所のホームページに今もある言葉です。チャンスをいただいた寛大すぎる社長には感謝の言葉しかありません。
身長も低く見映えのしない姿、レッスンの度に凹みます。モデルとは程遠いと自分が一番わかっていますがそこは前向きに!50代の私だから出来ることもあるはずです。
自分の行動で未来は変わったのです

パニック障害で電車に乗れなかった私がレッスンに通えている事実、時には気分が不安定になり途中下車することもあります。それでも気持ちは前向きです。目標を持てたことで気持ちが充実し心も強くなった気がしています。
家族の協力にも助けられています。自分に時間を費やせるのは、息子が成長し大学生になった今だからだと思います。
どんよりとした闇にいた私が、行動を起こしたことで生活が変わりました。トンネルから抜け出せたのです。
続けてきたこと、行動を起こしたことで生活に光が射した私、イキイキしてるね!と言われれる喜び。まだまだこれからも諦めません!
がんばれ私!!
チャレンジは続きます。